奥津城(要害城)は、正嘉二年(1258年)に上総国伊保荘置津郷の領主佐久間重吉と嫡男佐久間重貞により築かれました。佐久間氏は元々安房国平郡狭隈郷(現千葉県鋸南町上佐久間~下佐久間)を所領としていましたが、佐久間家盛が承久の乱で功績を挙げたことより、上総国伊保荘置津郷(千葉県勝浦市興津、守谷、浜行川、大沢、鵜原、台宿、植野、上植野、上野、大森、名木、中島、中里、赤羽根等)を賜りました。

天正十八年(1590年)、徳川家康が関東一帯を治めると奥津城は自然廃城となりました。その後、要害山(奥津城跡)は佐久間氏の子孫によって管理されていましたが、戦後GHQ(連合国総司令部)の指揮の下で行われた農地改革によって所有者が変わってしまいました。

奥津城のあった要害山は、興津近辺では標高が一番高い山であるため、天気が良いと城内にあった物見台跡から太平洋を望むことが出来ます。

住所 〒299-5245
千葉県勝浦市興津字要害806
交通案内 千葉県勝浦市上野の上野郵便局から徒歩10分